レター 2026年 夏号
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タイトルにあるステュクス川とは、このカロンにまつわる図像には、古代眼下に広々と展開する風景を二分すパティニールの宗教画では、聖人などステュクスの流れに向かって左手には加入者向広報〈共済だより〉3る、巨大なビロードを敷きつめたような静かな川面。その緑がかった青の変幻する諧調はパティニール固有のものです。15世紀末の頃から北方ネーデルラントでは風景に対する関心の高まりが見られました。この連載(第83回)でも紹介したヘールトヘン・トット・シント・ヤンスの自然への深い感情、その彼と同時代人の巨匠ヒエロニムス・ボスの幻想の世界を支えるリアルな自然描写。そしてここで風景はテーマの背後から実質的な主役に躍り出ます。視点は非常に高く置かれ、天地のあらゆるものを精細に、どこまでも遠く一望のもとに収めようというパノラマ的景観。のちにそれは「世界風景」と呼ばれることになりますが、この景観は画家が記憶と想像力によって構築したもので実景ではありません。いやそれどころか本図の場合は「この世」のものですらない…。ローマの詩人ウェルギリウスが語るギリシア神話では大地の下に広がる死の世界=冥府を流れる川です。それが彼方の果てしない水平線に向かってせり上がってゆくような不思議な空間感覚。中央には静かな水面にさざ波を立てて進む一艘の小舟、それを操るのは髪を振り乱した異貌の老人、彼はこの川の渡し守カロンです。そして彼の足元にはか細い死者の魂が座っています。ギリシアの白地レキュトスという葬祭用の壺に描かれた絵などが遺されていますが、パティニール以前の絵画にはほとんど類例がありません。本図より10余年のち、ミケランジェロはローマのヴァティカン宮システィナ礼拝堂の「最後の審判」の大壁面に、ダンテの『神曲地獄篇』に由来する、悪鬼のようなカロンが亡者の群れを威嚇する姿を描き入れています。なお、カロンに死者が払う渡し賃はオボロス貨1枚(因みに日本の伝承では「三途の川」を彼岸へ渡る片道運賃は六文銭)。古来より洋の東西を問わず、川の流れは一種の無常観を帯びて、漂う舟とともに人生の旅にも例えられますが、ここに表されるのは旅の終局の場面です。なお民間伝承でも川や橋は洞窟などとも並んで異界(彼岸)への入口、境界と見なされてきました。ます。前景の岩の向こうから狭い支流が蛇行しつつ奥に進み、その先には透明なドーム状の建造物が輝いています。水辺には白鳥、鹿、兎、そして一角獣らしき獣が、森のあたりには死者の魂を導く天使の姿も。つまり神話画にキリスト教の要素が融合しているのですが、これは永遠に平和な楽園エリュシオンの光景です。岸辺の小高いところに一人の天使が立って舟に合図を送っていますが、舟の魂は気づくそぶりもなく、右手に顔を向けています。こちらの支流はやや川幅も広く、それは奥の楼門に続きます。黒々とした地獄の入口の脇には3頭を持つ怪犬ケルベロスが陣取り、背後には赤い炎が燃え盛っていますが、魂にはそれが見えないようです。すなわち「狭き門から入れ。滅びに通じる門は広い」(マタイ福音書7章)。楽園とはまったく対照的なこの陰惨な地獄の景観はボスの世界と見紛うほどです。景の中に小さく表されています。まるで風景を描くための口実のように。また本図は別として、彼の作品にはしばしば共作者がいます。つまり他の画家が宗教画の人物像=主題を描き、彼は得意とする風景の部分を担当したのです。風景こそがパティニールの主題でした。そして16世紀半ば、ネーデルラントにピーテル・ブリューゲルが登場し、「世界風景」を継承しながら風景に人間とその生活の営みを融合させ、それはさらに17世紀オランダ風景画の黄金時代への橋渡しとなりました。透明感のある穏やかな世界が広がり主題となる人物像でもパノラマ的風vol.158 令和8年7月1日発行

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