紀元1世紀に入り、ローマ帝国の属州ユ北ネーデルラント(現在のオランダ)出緑豊かな草地には兎や鹿、水鳥などの鳥再び…ヨハネは今、静かに何をみつめてここでヨハネのとるポーズに注目してみ3加入者向広報〈共済だより〉vol.155 令和7年10月1日発行か すハ ー ロ ーメ シ アメ ラ ン コ リ ーた っ け い獣が遊ぶこの自然の情景は、画題にある「荒野」という言葉の響きよりも「地上の楽園」というイメージがふさわしく感じられるかもしれません。右手の奥に霞のは聖都エルサレムか。前景の岩場に腰を下ろし、青いマントの下に茶色のラクダの毛の粗い織物をまとって黙想するこの人物は洗礼者聖ヨハネ。その頭部には光ており、これは聖なる人のしるしです。新約聖書の重要人物である彼は、絵画でもその誕生の場面にはじまり、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』で知られる衝撃的な斬首まで数多くの図像に表されてきました。福音書によれば、彼の母エリザベツは聖母マリアの親戚にあたり、彼自身はイエス・キリストより半年ほどの年長者。そして、なによりもヨハネはイエスの先駆者とみなされています。ダヤの地で人々の間に救れていた頃、若きヨハネは荒野に独り分け入ってイナゴと野蜜を常食に苦行を積み、その後ヨルダン川のほとりで罪を悔い改めよと人々に説いて洗礼を施しました。そしてイエスもまた彼から洗礼を受け、ためにヨハネは特に「洗礼者」と呼ばれます。背後にうずくまる白い子羊はイエスを象徴するもので、ヨハネがイエスの姿を認めて言った言葉、「見よ、神の子羊である」に由来します。子羊の頭部にもヨハネと同じ聖なる光が輝いています。そして彼ヨハネは今、静かに何をみつめているのか。身のヘールトヘンは、ハーレムの聖ヨハネ騎士修道会に(おそらく俗人の資格で)属した画家で、28歳ほどの若さで早世したと伝えられていますが、実は正確な生没年も不明です。作品数もわずかしか知られていませんが、いずれも完成度は高く、人物像はもとより、それと破綻なく融合する周囲の瑞々んで見える輪が静かに輝い世主が待望さしい自然描写には特筆すべきものがあります。彼の生きた時代、風景は宗教画や肖像画に従属する二次的なもので、どこか書き割りのような類型的な表現が一般的でした。この若い画家の絵には自然美に対する新鮮な感動が見られます。彼をもって北方のみならず西欧の風景画の先駆者とみることもできるでしょう。ましょう。片手に頭部をあずけて黙想するその姿に。古代以来の医術では人間には4つの体液があり、その配合によってそれぞれの気質が決まると考えられてきました。そのうち黒胆汁が優勢な気質は憂れ、その陰鬱な気質はときに狂気にまで至るが、他方では創造的な天才に結びつくとも考えられました。そして典型的なメランコリーのイメージがこのヨハネのように頬杖をつき黙想するポーズで表されることになるのです。この絵と時代が近い例では、デューラーの銅版画《メランコリーⅠ》の陰鬱なまなざしをした人物像、ミケランジェロがシスティナ礼拝堂天井の一隅に描いた苦難の預言者エレミヤのポーズなどがあげられます。2人の巨匠(ともに憂鬱質の傾向がありました)はこれらの人物像に、自己の姿を投影しているとも言われています。いるのか。緑の自然もすでにヨハネの魂の眼には映っていないようです。画家はこの洗礼者像に深い共感を込めています。福音書には次の言葉があります。「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」。洗礼者ヨハネの祝日は6月24日、夏至に近いその日を境にして、登場する者と、退場する者が入れ替わる。ヨハネはその宿命に思いを凝らしているのです。そしてそれに続くイエスの受難までも視ています。ヨハネの痩せた足先は苦行の疲れを癒している仕草にも見えますが、裸足の重ねられたその形は、そこに釘が打たれるイエスの磔鬱質と呼ば刑を不吉にも連想させるものです。
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