青年期にはドニやヴュイヤールら同年輩フランス映画には印象派以後の近代の画この小さな絵はボナールの絶筆とされてボナールの晩年はしかし、幸福を描く画す3vol.153 令和7年5月1日発行加入者向広報〈共済だより〉くみ頭に次々と台頭した前衛絵画の潮流にも与とき自画像(1945年)に。画家は終末の刻家を題材にした作品が数多くありますが、「画家ボナール ピエールとマルト」(2023年制作)もそのひとつです。その中で、白い花を満開に咲かせたアーモンドの木が映しだされるシーンがあります。そしてその花を見上げる画家の姿を樹上から捉えたショットや、老齢のボナールが室内の壁に貼り付けたその絵に、ぎこちない手つきで筆を置いている姿も。めたボナールは、都市生活の情景や室内のごく私的なひとこまを題材に選んでアンティミスト(親密派)とも呼ばれましたが、世紀が変わる頃から舞台は主に田園に移り、別荘での日常的な暮らしのひととき、あるいは窓の外に広がる、どこか神話的楽園への憧憬を漂わせた風景が展開されてゆきます。また20代後半に知り合った女性マルトは、彼の芸術のミューズとして、やがて生涯をともにする伴侶ともなります。以後彼の室内画には、浴室に、食卓の端に、鏡の前にマルトは遍在しているのです。そうしてボナールには中産階級の幸福を描く画家という、いささか類型化されたイメージが出来あがってゆきました。の画家たちとナビ派を結成したボナールですが、彼は自分がどの流派にも属さない独自の画家であることを自認し、20世紀初ることはありませんでした。やがて50代に入り、すでに名声を手にしていたボナールは、1925年に南仏コート・ダジュールのカンヌに近いル・カネに別荘を購入し、そこが画家夫妻の終の棲家となるのです。います。画家は亡くなる数日前に、絵の左下の部分の緑色が気になって、甥に頼んを凝でその部分を黄色に塗り替えたと伝えられています。彼には何枚も製作中のカンヴァスを壁に貼り付けて並行して描く習慣があり、時には数年間にわたって加筆を続ける場合もありました。 旧約聖書の中でアーモンドの開花は春の訪れをいち早く告げるしるしとされています。この絵より半世紀近く前、南仏のサン=レミで、短い生涯のその最後の早春に花咲くアーモンドの枝を描いた画家がいました。ファン・ゴッホです。当時彼の地の精神病院で療養していたゴッホは、パリに住む弟テオに息子が誕生した知らせを喜んで、晴れた早春の青空を背景に白い花をつけたアーモンドの枝を一面に描いてお祝いに贈りました。家というイメージからは遠いものでした。1939年に第二次世界大戦が勃発してから、彼はル・カネに引きこもり、その間、親友ヴュイヤールは1940年に亡くなり、ドニも43年に没しています。なによりも42年に病弱だった妻のマルトを失ったことは最大の痛手でした。晩年の自画像にはかつてない孤独と幻滅と諦念が漂っています。とりわけ化粧台の鏡に映る老いた己の姿を描いた、どこか日本人の老僧を思わせる幻影のような視しているようです。 しかし絶筆のこの絵には自由で、ある晴れやかな気分がよみがえっています。静かに燃え上がる大気の中で、降りしきる綿雪のような白い花に包まれたアーモンドの木は、創世記の楽園の中央に立つ、不死を約束する「生命の木」のようです。それはゴッホが描くひまわりや糸杉がそうであるように、画家ボナールの内面を映し出した象徴的な自画像とも呼べるものです。つい20代前半に石版画ポスターで成功を収
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