レター 2025年 冬号
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暗い空と森を背景に、青衣の少年の姿が浮かび上がります。彼の視線は観る者をしっか〉りよだ済共〈 報広向者入加3しょう裳は、1630年代に英国王チャールズ1世の宮廷画家として招へい聘りと捉え、その表情はある確かな意志を感じさせる一方で、感情を内に抑えた寡黙な印象があります。対照的に衣裳は身体にフィットする鮮やかな青のサテンの上衣、襟にはレースがあしらわれ、同じサテンのズボンは膝下の丈。ゲインズバラはその衣裳の繊細な質感を歌うように軽妙な筆致で表しています。ファンシー・ドレスと呼ばれるこの優雅に凝った衣ンソニー・ヴァン・ダイクの肖像画に見ることができます。ゲインズバラをはじめ、18世紀の英国の肖像画家の多くはこの異国の画家の影響を強く受けたものです。 本図が1770年のロイヤル・アカデミー(王立美術院)展に出品された時には《若い紳士の肖像》という平凡な題名が付されていましたが、18世紀末頃になると《ブルー・ボーイ》の名で親しまれるようになりました。時代はさらに下って1922年、この絵がオークションでアメリカの富豪の手に落ちて英国を離れることになった時には、ナショナル・ギャラリーでは異例のお別れの展覧会が開かれ、多くの観客を集めました。そして2022年、長らく門外不出だった《ブルー・ボーイ》はアメリカの所蔵美術館から貸し出され、ナショナル・ギャラリーでは「ゲインズバラのブルー・ボーイ」展が100年を経て実現されました。英国の肖像画の中でも、この絵はもっとも多く複製され、そのイメージが普及している作品のひとつ、20世紀に入るとサブ・カルチャーでも取り上げられています。この絵はどんなオーラに包まれているのでしょう。そして、そもそもブルー・ボーイとは何者なのか。 少年は一度使用されたカンヴァスの上に描かれており、それは大事な注文制作の肖像画ではなく、像主は画家の身近な人物であることを示唆しています。すなわち彼は画家の友人である富裕な金物商の息子で名前はジョナサン・バトール、18歳くらいの少年とされてきました。別の説では画家の甥でその後唯一の助手となるおよそ16歳のゲインズバラ・デュポンとも。いずれにせよ像主は有力な顧客である貴族や社交界の人物ではありません。たいていの顧客は容貌の再現には鏡に映る以上の効果を当然のように期待するものですが、特に地位の高い人物の場合には、それ以上に自分のステータスが表されることを望みます。その種の事情はこの画家をしばしばうんざりさせていたようですが、この絵では尊大な顧客の要求から自由になって、無名の少年に晴れやかな生命感を与えています。 1世紀半ほど後のこと、ドイツ表現主義映画の奇才F.W.ムルナウが監督した初期の幻の作品『ブルー・ボーイ』(1919年)は、本図とオスカー・ワイルドの唯一の長編『ドリアン・グレイの画像』(1890年)に霊感を汲んだ怪奇幻想の作品。後者の小説は肖像画の老いることのない若さと美を、生身の像主が代わりに引き受けることができたらというものでした。それと同じように、ゲインズバラのこの入魂の作を観る者は、額縁の中で永遠の春を生きる無名の少年に感情移入するのではないでしょうか。そしてそもそも少年を包む「青」は、ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスの『青い花』やメーテルリンクの童話劇『青い鳥』のように、希求と探索とそして憧憬とまた神秘を象徴する色なのです。されたフランドルの名手アvol.152 令和7年1月1日発行

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