私たちはゴッホの、とくにその後期の作品の豊穣な色彩から、まばゆい陽の光の画家と3いうイメージを抱くかもしれません。しかし彼は数こそ少ないものの、きわめて印象的な夜の絵を遺しているのです。1888年の早春に南仏アルルに移り住んだこの画家は、まもなく地中海を見るために海辺のサント=マリー=ド=ラ=メールの街に旅したときに、大都会のパリでは見られない深い夜空の美しさに気づくのです。星々はエメラルド、ルビー、サファイアなどの宝石にようにきらめいていました。そしてその年の9月にはいくつかの夜の情景が描かれました。彼は手紙に記しています。「僕には夜のほうが日中よりも色彩が豊かに感じられる」そして「ぜひ星空を描きたい」とも。彼はまず夜間営業のカフェの室内で人工光線の下に人々がたむろする、わびしいがニュアンスに富む夜の表情を題材に選びました。そして次に描いた本作では別のカフェの外側とそれに星空も取り入れました。 まだ宵の口なのでしょう。テラスの外壁に掛かったガス灯が放つ煌々とした光がテントの裏を黄色に染め、座る客たちを包み込み、さらにその光はテラスの床から道路の舗石にも流れ出しています。このガス灯の表現にはゴッホの特徴となる極端な厚インパスト塗りが用いられています。また光を反射して白く輝くテラスの丸テーブルの連なりは遠近感とリズムを作り出しています。一方、画面右手では軒を連ねる店が明かりを灯し、幾人かの夏の夜を散策する男女、奥の小路の向こうからは馬車がやって来るのも見えます。そして目を上げれば青く遠く深い夜空にまたたく大小の星くず。この絵の豊かな抒じょ情じょう性せいは、彼が南仏に来るまで2年近くを過ごしたパリの夜の思い出と、その大都会を活写したゾラやモーパッサンらの自然主義小説に由来する部分もあるでしょう。それまで夜を題材とした風景画や風俗画は、素描などをもとにして仕上げは画室で行われるのが通例でしたが、ゴッホは夜間の現場での制作に固執しました。当然のことながら光線の条件は制作には十分ではなかったはずで、そこから彼が帽子のつばの上にろうそくを立てて描いたという、やや薄気味の悪い伝説が生まれたものです。 高い夜空の星の光とテラスに広がる人工的な光の対比。永遠の時を思わせる彼方の世界と移ろいゆく時に属する現実の世界。色彩的には遠い空の青と地上の生活を照らし出す黄色。後期のゴッホはしばしばこの青と黄色という強烈なコントラストを生む反対色を好んで使用しました。星空についても新しい展開が生まれます。画家は9月の末頃にアルルの街を流れるローヌ川の岸辺に立って、満天の星空の下に彼方の街の灯火が川面に映る幻想的な《星月夜》(オルセー美術館)を描きました。「星によって希望を表現する」という言葉が残されていますが、ここにはまた自然に対する深い畏敬の念があります。そして翌年5月、精神を病んでアルル近郊のサン・レミの療養院にいた画家は、発作の不安を抱きながらも旺盛な創作を続け、その中からもうひとつの記モニュメンタル念碑的な《星月夜》(ニューヨーク近代美術館)が生まれます。夜空に向かって黒い糸杉が屹立し、その夜空を埋め尽くす星々は渦をなして、うねる銀河のように天空を駆け巡っています。それはすでにメルヒェン風な希望の象徴ではなく、黙示録的な不安な幻ヴィジョン視を暗示するものです。ゴッホのいくつかの星空の中に、彼の魂の変容もたどることができるでしょう。
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