レター 2024年 夏号
5/32

夏の昼下り、緑濃い樹木、川の流れに入ってゆく空の干し草車、彼方には明るい陽光を3浴びて広がる畑、高い空には湧き上がる雲。この絵はイギリス人が抱いてきた懐かしい田カントリーサイド園のイメージを集約して、彼らに最も愛されてきた風景画といえるでしょう。《干し草車》として親しまれているこの絵の当初のタイトルは《風景-真昼》でした。ここはイングランド東部サフォーク州のストゥア川流域イースト・バーゴルト、画家の生まれ故郷で父の製粉所があり、そして彼が繰り返し描いたこの土地は、すでに生前より「コンスタブル・カントリー」と呼ばれていました。左手の小屋はウィリー・ロットという老農夫が生まれたときからずっと住んでいたという家で、画家はこの小屋のある情景を何年も前に習作として描いています。 コンスタブルは馴染み深いこの一帯の風景を、1810年代の末から数年にわたり、通称6フィート画、つまり横180cmを超えるいくつかの大作に描いてロイヤル・アカデミー(王立美術院)展に出品しました。従来アカデミーでは英雄的な人物が登場する歴史画が第一に重んじられ、彼が専門とする風景画は下位のジャンルに甘んじていました。一連の6フィート画はそうしたいささか古い価値観に対する彼のアピールでもありました。制作は故郷の実景を写生した素描と小型の油彩スケッチ類をもとに全体の構想をまとめ、ロンドンの画室で大型のカンヴァスを用いた出品作の段階へと進みますが、この作品ではさらに出品作と等寸大の画面に、パレットナイフを自在に駆使した油彩スケッチを試みています。画家はそれによって、小型のスケッチ類がダイレクトにとらえている自然の生命感をできる限り完成段階までとどめようとしたのです。本図においても、光を受けてちらちらと輝く樹木や草むら、水みな面ものきらめき、それに岸辺の子犬や遠景の畑で立ち働く人々がごくわずかな筆タッチ触で的確に表されています。そして夏の空を漂う雲の流動感。この画家は空と雲だけを写生した一群の習作を残しています。 1821年のロンドンのアカデミー展で、フランス・ロマン派を牽引するジェリコーは、この風景画の新鮮な自然主義に感銘を受け、それをパリの仲間たちに伝えました。3年後の1824年、《干し草車》はパリのサロン(官展)で展示され、大きな評判を呼ぶことになります。とりわけ若きドラクロワはこの絵の光と色彩と自由な筆触に衝撃を受けたものです。逆に母国のアカデミーでは、コンスタブルの風景画は仕上げが不十分だという批判をずっと浴び続けていたのですが。彼がもしその批判を受け入れ、もっと細部も丁寧に滑らかな筆触で仕上げていたなら、習作段階の新鮮な自然の印象は失われ、6フィート画はおよそ精彩を欠いたものとなっていたでしょう。一連の6フィート画とその等寸大の油彩スケッチは彼の芸術の最高峰をなすもの、わけても《干し草車》は静けさのうちに自然が本来備えている完全な調和をカンヴァスに写し取っているかのようです。晩年の言葉にあるように、彼が追い求めたものは「光、露、そよ風、咲きはじめた花、そして瑞々しさ」でした。いずれもがささやかで、時とともに移ろいやすく、絵にはとどめ難いもの。生涯一度も外国に旅することのなかった画家は、それらのすべてをイングランドの風景のなかに見出しました。これは少年時代の思い出の土地と遠い記憶とを愛し続けた人の、絵筆で描かれた自伝でもあります。

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る