レター 2024年 冬号
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これは12世紀ペルシアの神秘主義詩人アッタールの寓意物語詩『鳥の言葉』の写本を飾る挿絵=細ミニアチュール密画の1枚です。重畳する岩山の間には2頭の羚れいよう羊※1が遊び、左手にはスズカケの大樹が身をくねらせ、その枝の一部は絵の枠を越えて深い蒼そうきゅう穹を思わせる装飾部分に伸びています。大樹の優雅なリズムは、その根元を静かに流れる小川にも繰り返されています。ここには西欧絵画に見られる遠近法による奥行のある空間や、立体感の表現、そして陰影もほとんど見られません。そのため平板な印象は否めませんが、細部にわたって画面をくまなく埋め尽くそうとする造形的な意欲、それがこの華麗な装飾的空間の密度を高めています。そしてそこにはさまざまな種類の鳥たちの姿。これは鳥の楽園なのでしょうか。しかしその様子を窺うかがうように長い銃身のマスケット銃を手にした狩人が1人……。3※1 偶[引用]「羚羊」.松村 明.『大辞林』第二版.三省堂,1995年,P.2730.ぐうてい蹄目ウシ科の哺乳類のうちシカに似た優美な形態をもつものの総称。アッタールの四千数百句にも及ぶ長詩は、あるとき無数の鳥たちが集会を開き、遥か彼方のカーフ山に棲むという霊鳥スィーモルグを自分たちの王に迎えるために、一同旅に出るというもので、本図はその冒頭に近い場面を表しています。集会を発議したのはヤツガシラ、でもその鳥はこの絵のどこにいるのか。それは鳥たちが首を伸ばし、耳をすませ、一斉に見つめるその視線の集まる先にいます。格別大型の鳥でもなく、強力な猛もう禽きんでもないヤツガシラの特徴は、頭部を飾るその見事な冠毛で、これが王冠=王者のしるしと見なされています。この鳥はイスラームの聖典『コーラン』の中ではソロモン王のメッセンジャーにして腹心の知恵者で、シバの女王との間も取り持ちます。また、古代ギリシアのアリストパネスの喜劇『鳥』では、鳥類の王はヤツガシラ、しかしその前身はトラキア王テレウスとされています。ヤツガシラの前には2羽のキジバト、その後ろにはオオタカ、さらにその上には赤く長い嘴くちばしのコウノトリ。赤いトサカの雄鶏や黒いカラス、それにただ1羽正面向きに描かれた派手なクジャクはすぐに分かりますね。水辺には首の長いオオヅルにカササギ、アオサギ、そして4羽のガチョウがいて、その4羽に囲まれた水中の小さな岩には画家がこっそりと署名を記しています。ここで、群れからはやや離れてスズカケの下で翼を広げる1羽は、死して自らの灰から蘇るという伝説の不フェニックス死鳥だという説があります。それはスィーモルグとは違いますが、鳥たちの運命を見守る特別な存在のようにも思えます。集会でヤツガシラに説得され、鼓舞された鳥の大群は彼に導かれて未知の冒険の旅に出発します。その道程で彼らの大半は傷つき脱落し、七つの険しい谷を越えてついにカーフ山に達したのはわずか30羽でした。その七つの谷とはそれぞれ「探求」「愛」「清貧」などの名を持ち、ペルシア神秘主義の困難な修行の七つの階かい梯ていを象徴するものだと言われます。はたしてそこにはスィーモルグの姿はありませんでした。しかしここで絶望の鳥たちは知ったのです。自分たち30羽こそがスィーモルグなのだと。ペルシア語では「30羽(スィー)の鳥(モルグ)」、つまり霊鳥スィーモルグと同音。その鳥とは視えざる神であり、物語の結末は神秘主義の奥義、自我が消滅したときに訪れる神人合一の境地を意味するものです。大いなる旅は終わっていたのです。

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