微光が透けて見える薄暗い灰色の靄ジャングルついもやあやエデン31863年、それまでアメリカ東部諸州を中心に旅を続けながら風景画家として一家を成していたヒードは、南北戦争の戦火のさなかにブラジルに渡り、以後中南米への旅は1870年まで都合3回に及びました。フロンティア・スピリットがこの画家を南方に向かわせたのでしょうか。すでに僚友の風景画家が彼よりも先に南米の雄大なパノラマ的景観を取材していたことも刺激となったはずです。しかし、ヒードの関心はそれとは異なるところにありました。いわばミクロの視点です。熱帯の密林は蘭の大輪や華麗な鳥類の宝庫でした。小鳥のうちでも超軽量に属するハチドリの魅力は、羽毛の鮮麗さとともにその驚異的な飛翔能力にあります。肉眼では捉えられない高速の羽ばたき、花の蜜を吸うためのホバリング(ヘリコプターのような空中停止)や後退飛行も自在というこの小鳥の豊富な種類の中には、森の妖精あるいはルビーやアメジスト、トパーズといった宝石の名称が与えられたものもあります。18世紀のフランスの博物学者ビュフォンは、ハチドリの姿と色彩はすべての生き物のうちで最も優雅だ、と評しています。ヒードはダーウィンの著作や植物学、鳥類学の専門資料にも親しみ、名高いオーデュボンやジョン・グールドの豪華な鳥類図譜にも触発されていますが、彼の作品の真の独創性は、自然の景観がたんに舞台背景として描かれているのではなく、風景それ自体が息づいており、その中に小鳥や花が生命を謳歌する楽園のイメージが想像的に表現されていることです。それは新しいジャンルの創造でした。北米を舞台にした彼の風景画には、雄大な景観よりも静けさに満ちた入り江や湿原を細密なリアリズムで描き、精妙な光のコントラストをもって天候の変化を予兆する、神秘的なほどに詩的感受性に恵まれたものがあります。とりわけ湿地に対する彼の偏愛は本作の湿潤な大気の表現にもその一端がうかがえます。ヒードはブラジル旅行から20年後の1883年、南部フロリダ州の北部に終の棲家を定め、晩年にはそこに広がる湿原の風景画と、一方で乳白色の大きなマグノリアの花をビロードの上に配し、まるでたおやかな貴婦人が横たわっているかのような静物画を描きました。これは本作の到達点と言えるものかもしれません。妖しいほどに官能的に描かれたカトレアもマグノリアもこの画家にとって現実を超えた楽園の花、そして「女性的なるもの」の永遠の象徴だったのです。マーティン・ジョンソン・ヒード Martin Johnson Heade(1819-1904年)ペンシルベニア出身のアメリカ人画家。10代の終わりに素朴派のエドワード・ヒックスに絵画を学んだ。初期には肖像画を描き、渡欧も経験、やがて風景画に自らの資質を見出した。南米への旅は熱帯の花とハチドリをテーマに、風景画とも鳥類画とも静物画ともいえない、真にオリジナルな画境をひらいた。旅に明け暮れた遍歴の生涯はその晩年にフロリダに安息の地を得た。の中から、蘭の女王カトレアがその妖艶な姿態をくねらせて立ち上がります。超現実的ともいえる圧倒的なスケール。右手には雌雄2羽の小型種のハチドリ=ハミングバードが巣の卵を守るように枝に止まっており、さらに右下からその様子を注視するのは赤も鮮やかな長い尾を持つもう1羽の大型種、それぞれ羽毛の質感までよく再現されています。カトレアのゆったりとした曲線と、3羽のハチドリが作り出す円環状の曲線が呼応して構図に動感を与えています。ここは熱帯ブラジルの森林、背景は湿潤な厚い大気のカーテンが遠望を遮っていて、それだけにこのなかば閉ざされた世界には、大自然の景観というよりは濃密な秘密の花園といった、エキゾティックにして幻想的な雰囲気が漂っています。
元のページ ../index.html#5