聖ゲオルギウスはローマ帝国によるキリスト教徒迫害が熾烈をきわめた4世紀初頭に殉3あまたスクオーラひとみごくういけにえばら教した武人とされ、中世の十字軍の時代にはこの戦士聖人に対する崇拝は非常な高まりをみせました。英国ではセント・ジョージの名で知られ、またヴェネツィア共和国の守護聖人の一人。伝説によるとリビアの国の大きな湖に面したある町がドラゴンに荒らされており、その怪獣をなだめるために羊ばかりか住民さえもがくじ引きで生贄に供されました。そしてついには王の娘クレオドリンダが人身御供になるところを、そこに通りかかったゲオルギウスが怪獣を退治して王女を救ったということです。この物語はティントレット以前にも中世・ルネサンスを通じて豊富な作例が残されており、騎士とドラゴンの闘争するシーンが横長の画面の中央を占めるという構図が多いのですが、この絵は祭壇画として縦長の画面を用いており、画家は構成にも新機軸を導入することになりました。中景では白馬にまたがる騎士は槍を構え、狼に似た獣の頭部と翼を持つドラゴンを水際まで追い詰めてゆき、その槍はまさに振り向くドラゴンの顎を貫くところ。白馬の手たっけい前に横たわっているのは王女よりも前に人身御供となった犠牲者で、その姿勢はどこか磔刑のキリストを連想させるところがあります。さて主題であるべき闘争のシーンが中景に退いて表される一方で、普通は副次的に扱われる王女の姿が前景にクローズアップされているのは異例の表現。逃げまどう王女は薔薇色のガウンをひるがえし、深い青色のドレスには白くきらめくハイライトが効果的です。とりわけ印象的なのは短縮法で描かれた右手で、その開かれた五指はまっすぐに突き出されて、まるでこの悲劇のヒロインが、描かれた空間からわたしたちの現実の世界に躍り込んでくるようなスピード感と不思議な臨場感。それは演劇的でもあり、どこか映画の手法すら連想させます。さらに中景で騎士が右から左へと突進する直線と、水辺で反転して左から近景右下へ姫君がドラゴンから逃れる斜線が構図を躍動させています。背景の水平線はかなり高く、濃い緑の森の彼方には都市の蒼白い城壁が亡霊のように連なっています。そして暗い雲の上にはまばゆい光の渦が広がり、その中に右手を挙げた父なる神の姿が浮かんでいるという超越的な光景。神は祝福をもって聖人に勝利を約束しているのです。この騎士とドラゴンの主題には善と悪の闘争が象徴されており、そしてこの怪獣を悪魔に見立てるならば、これはキリスト教の異教に対する勝利を意味します。またそれはギリシャ神話で海の獣を倒してアンドロメダ姫を救うペルセウス物語から、さらに古代オリエントの、英雄と怪物という光と闇の闘争神話にまで遡ることができるでしょう。ヴェネツィアで生涯のほとんどを過ごしたティントレットは、長きにわたりこの水都に数多ある同信会館(平信徒の組合)や聖堂の壁面を超大作群で埋め、その多くは今も現地に残されています。それは彼が敬愛したミケランジェロの偉業にも匹敵するものです。その絶え間なき制作にかけられた創造のエネルギーと、時には強引なやり方も辞さず次々と仕事を勝ち取っていった執念の総計を思うとき、彼の一生の主題もまた「闘争」にほかならなかったといえるかもしれません。ヤコポ・ティントレット Jacopo Tintoretto(1518-94年)ヴェネツィア生まれ。ティントレットとは通称で染物師の子を意味し、父の職業に因んだもの。画家修業のはじめから巨匠ティツィアーノとは不和があったらしい。代表作は20年以上にわたって制作された聖ロクス大同信会館の一連の装飾。宗教画の主題では「最後の晩餐」を繰り返し描いた。肖像画も多数残されている。激しい情念が表出される彼の反古典主義的なスタイルはマニエリスムに分類され、ある種の表現主義的傾向はエル・グレコに通じるものがある。
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