スペインの中央部に位置し、中世以前からの長い歴史を誇る街、トレド。エル・グレコ2vol.69利倉 隆(としくら・たかし)/ 美術評論家。著書は「絵画のなかの動物たち・神話・象徴・寓話」(美術出版社)など多数シリーズ「イメージの森のなかへ」(12冊・二玄社)では児童福祉文化賞受賞View of Toledoの唯一の風景画はこの街を描いたものでした。画面右手の遠景、建造物が集中する丘の上には王宮アルカサルの威容、そのすぐ左手に高い塔を持つスペイン・カトリックの総本山トレド大聖堂、そこから建物群に沿って急勾配を駆け下りると、市の三方をめぐるタホ川の緩やかな流れ、そしてローマ時代にさかのぼるアルカンタラ橋。その流れには釣り人、布を晒さらす人、そして橋に向かう人びとなどが、見分けがたいほどの極微の点景として添えられています。この絵は西欧絵画の歴史の中で、宗教画など他のジャンルに付随する風景表現ではなく、独立した最初の「純粋な」風景画だとしばしばいわれてきました。しかし、その情景は決して自然を忠実に再現したものではありません。実際の景観では建築群を頂く丘の斜面はこれほど急峻ではなく、またアルカサル宮を望むこの位置からは、大聖堂は隠れてしまうはずなのです。画家は実景を改変しても、宮殿と大聖堂という聖俗の二大権威を古都トレドの象徴として表す必要を感じたのでしょう。クレタ島出身のギリシア人エル・グレコは、はじめに東方ビザンティン様式の聖イ画コ像ンを習得した後、ヴェネツィアとローマで盛期イタリア・ルネサンス美術に接して研けん鑽さんを積みました。30代半ばにはスペインに渡って、ギリシア人も暮らしていた多民族的都市トレドでその後半生を送ります。中世以来イスラム教、ユダヤ教の文化とも共生・混交しながら独自の歴史を刻み、無数のドラマと記憶を蓄積してきたトレドの姿に、異邦人の画家は郷愁あるいは既視感のようなものを感じたのでしょうか。エル・グレコは人物の形姿を大胆にデフォルメして強烈な情念を表現する数々の宗教画で知られていますが、稀なこの風景画にも彼の個性は表れています。間近に嵐を予告する雲の、巨大な生き物を思わせるダイナミックな流動感は圧倒的で、ちぎれた雲は蒼白い炎と化して冷たく輝くガラス細工のような建築群に降り注いでいます。都市も丘も森も風景全体がその動きに呼応しているかのようで、前景の茂みは燃えさかるように揺れています。この表現主義ともいえる、風景の主観的表現に匹敵するものといえば、ファン・ゴッホの内面が投影された渦巻く夜空や、身をよじる糸杉、麦畑のうねりなどの烈はげしい情念の表現でしょうか。独立した風景画以外にも、これと同時代、あるいはさらに晩年に向かうエル・グレコの作品には、地誌的な景パノラマ観図や、宗教画・聖人画の背景や片隅にトレドの街を描き入れた例がいくつかあり、その中にはトレドを、烈はげしいパトス=情念に充ちた書『ヨハネ黙示録』の最後に現れる「新しきエルサレム」に見立てたと思わしきものもあります。つまり時を超えた永遠の聖都に。画家は最後までこのトレドの街の探究を続けていたことと想像されます。ソビエト映画の名匠エイゼンシュテインは、本作を「自然と人間との相互浸透による完全な統合の絶妙な一例」と絶賛しました。そこでは異郷の土地の「精スピリット霊」が画家の「魂スピリット」と溶け合う。本作はトレドという都市の肖像画というべきものですが、それをエル・グレコの象徴的な自画像と言い換えてもよいかもしれません。トレド眺望
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