レター 2022年 冬号
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んんげなす2ニュメント少女の姿がくっきりと浮かび上がります。彼女があやしている子羊、それをじっと見つめる猫、芝生の上には帽子と人形用の乳母車、どれもが彼女のお気に入り。対する半ば陰になった中景右には、やや硬い表情で椅子に座る黒衣の男女がいます。定規を当てて描いたような二階屋、葉の一枚、草の一本もおろそかにしない緻密なリアリズム。これはアメリカ北東部ニューイングランド地方の田園を舞台にした、とある家族の肖像画です。髭ひをたくわえた男性は画家エルマーその人で、隣には妻のメアリー、そして少女は彼らの一人娘エフィ。控えめながらも幸福な情景、でも…超自然的な要素は何も描かれていないようなのに、どこか謎めいた違和感を覚えないでしょうか。これはタイトルが不吉にも暗示するように、家族の単なる団だ欒ら図ずではないのです。この絵が描かれた1890年に、9歳のエフィは虫垂炎のために亡くなっています。父親であるエルマーは限りない愛惜をこめて、一人娘の思い出を永遠化しようとしたのです。画家は娘だらかな丘を背に、前景左に明るい日差しを浴びて、おさげのの在りし日の姿を、残された肖像写真をもとにして描いたといわれています。彼女の微かかに夢見るような表情は時を超越していて、その遠い眼差しはどこに向けられているのか。ある瞬間に、すべての動きも風のそよぎも時の流れさえも止まってしまったかのような印象。石造りの記モ念碑を思わせる深い沈黙。前景の芝生の上にあるものはいずれもがエフィの形見ですが、中でもペットの子羊は「神の子羊」、すなわち犠牲となって世の罪を取り除くキリストを象徴するものでもあります。そして黒衣をまとい喪に服している両親に影を投げかけるライラックの茂みは、おそらく「復活」を含意するものと考えられます。かつて、アメリカのフォーク・アート(民衆芸術)の中には、「喪の絵画」と呼ばれる特異な図像の伝統がありました。それは弔いの人びと、教会、墓碑、壺、柳の木などを一つの画面に配し、素朴なタッチの水彩画で(時には刺繍によっても)表すものでした。この絵のタイトルもたぶんそこに由来するのでしょう。ただしエルマーの「喪の絵画」は、フォーク・アートのぎこちなく類型的な表現に比べると、はるかにリアルで創意に富んだものだといえます。此岸に属する者たちと彼岸に属する者、目に見えるものの世界と不可視の世界が、現実と追憶が境目もなく同居している。そこには後のルネ・マグリットの魔術的な世界を予感させるところさえあります。エルマーは元来、マサチューセッツ州の田園地方で農業に従事し、農家で使用する機械の改良家・発明家でもありました。つまり専業画家ではなく、絵画のスタートは中年にさしかかってからで、ほぼ独学です。美術教育機関の普及が遅れていたアメリカでは、植民地時代以来ニューイングランドを中心に、肖像画や時には看板絵も描きながら遍歴する「リムナー」と総称される名の知れない画家たちが多くいました。そうした独学者の系譜は長くアメリカ美術の特徴的な現象でもありました。このエルマーの絵にも独学者にありがちの技術的な生硬さが見られますが、必ずしもそれが表現上の欠点とはなっていない、むしろ個人的な経験に根ざした、感情の深さを率直に伝える誠実な技法とも見えるのです。そしてなによりも追憶だけが達することのできる詩情がここにあります。Mourning Picturevol.68喪の絵画

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